トップリーダーと学ぶワークショップ 極限の精度で未来を拓く ―光格子時計と、未知への挑戦―
自由に、もっとおもしろい、未来を探そう
未知を楽しむことが研究の醍醐味
きっと皆さんは、自分の未来を思い描くと、ワクワクする年頃だと思いますが、今日は私もワクワクしながら発明した、光格子時計について話したいと思います。それは300億年で1秒も狂わない時計です。宇宙が誕生してから138億年ですから、その2倍の年月が経ってもずれません。「そんなの何に使うの?」と思いましたか? まさにそのとおりで、今世界中の人がその使い方を考えています。ぜひ皆さんも考えてみてください。それは未知を楽しむことであり、研究の醍醐味でもあるのです。
最近、嬉しいことに光格子時計が、高校の物理の教科書に掲載されました(資料1)。大学の研究室に入った頃、先生に「教科書を書き換えるような大発見をしなさい」と言われましたが、それなりに達成できたのかなと思います。

私は小学生の頃、「ラジオ工作少年」でした。今とは違い、当時は道端に古いテレビが捨てられているようなことがよくありました。それを持ち帰り、分解して役に立ちそうな部品を集め、新たにラジオを組み立てることに夢中でした。
高校の頃は、朝から晩まで本ばかり読んでいました。広く世界を見るとはどういうことか、学んでいたのだと思います。振り返れば、迷ってばかりでしたが、人生で一番実り多き時間でした。
ただ、忘れられないことがあります。その高校には独自の体操があり、習得しないと卒業できませんでした。私は、その体操の動きに意味があるとは思えず、全く覚えられず落第しそうになりました。その時に自分は「考えてやることを大切にする」人間なんだと、自覚しました。
東京大学に入り4年生になる頃、研究室に配属となります。当時、量子コンピューターがカッコいいと思っていたのですが、関連の研究室は人気が高く、じゃんけんに勝たなければ入れませんでした。結局負けてしまい、レーザーを使った分光を研究する清水研究室に入りました。でも、そこでどんどん研究がおもしろくなっていったのです。
大学生ぐらいだと、自分にとって本当におもしろいことや、やりたいことなんて、わかっているようでわからないものです。実験が大好きになった私は、ラジオ工作少年だった本領を発揮し、実験のための道具をどんどん自作し、めでたく博士号を取得しました。
その後、1994年にドイツのマックス・プランク量子光学研究所(MPQ)へ、客員研究員として赴きました。紹介してくれた教授から「片道切符で行きなさい」と言われ、当たり前じゃないかと出発しましたが、ずいぶん後になって「お前の帰るポジションはないよ」という意味だとわかりました。でも「人間万事塞翁が馬」で、このMPQに行ったことが、私の大きな転機となりました。
30年前、外国の研究者と議論するなんてほとんどなかった時代です。ところがMPQには、世界中から優秀な研究者が、最新の成果を持って集まってくる。日本で研究していては、とても追いつけないし、私が興味ある分野はあまりに研究が確立されていて、未知の分野どころか舗装された広場になりつつありました。
でも逆に、日本でオリジナルな仕事をすれば、その情報は海外に漏れない。海外の人が考えていないような研究を、日本ですればいい。そう思うようになりました。













