講師特別インタビュー 教壇に至るマイヒストリー 和歌にだけに許された『誠の精神』千年前の心と共鳴する 第28回富井健二先生 Part2
この記事は「講師特別インタビュー 教壇に至るマイヒストリー 和歌にだけに許された『誠の精神』千年前の心と共鳴する 第28回富井健二先生」の続きです。よろしければそちらも併せてご覧ください。
短い言葉に凝縮された真の感情を味わおう
僕は今、和歌にとても興味を持っています。歴史を記した史書や神話は、権力者が自らの地位を固めたり正当化したりするための側面があるため、けっして本当のことばかりが書かれているとは限りません。また古い時代の女性は、なにかと自分を律し、なかなか本音をあらわすことがないのです。当時、それが美徳だとする考えもありましたしね。しかし、和歌の中だけは、包み隠さずに本音を詠むことが許されていたと考えています。和歌は神と繋がっているという考えが古来より存在し、「誠(本音)の精神」をあらわすことが求められました。
たとえば、次の有名な和泉式部の歌をみてみましょう。
もの思へば 沢の蛍も 我が身より あくがれいづる たまかとぞ見る
詠み手の和泉式部は恋多き女性でした。当時の社会で激しいバッシングを受けています。それでも和泉式部は人を好きになる気持ちを抑えません。恋焦がれるあまり、暗闇を飛び交う蛍の光が、自分の体から抜け出してさまよう魂のように見えると歌ったのです。彼女の業の深さが痛いほど伝わってきます。こんなふうに和歌という短い言葉の中にこそ、人間の真の感情が凝縮されるのです。
たとえば、『万葉集』に見られる高市皇子の歌などどうでしょう。
山吹の 立ちよそひる 山清水 汲みに往かめど 道の知らなく
春から夏にかけて黄色く咲く山吹の花を見たときに歌われたもので、「山吹の花の下を流れる水をくみに行きたいけれど、あなたが逝った黄泉の国へは私は行けない」と詠んだ挽歌(亡くなった人を追悼する歌)です。黄色い山吹の花と「黄泉」のイメージを重ねています。美しくひたすら切ない歌ですよね。
さてこの二首の歌をどう感じたでしょうか。想うところは人それぞれとして、皆さんが蛍や山吹を見たとき、この歌を思いだせたらどうでしょう。その感動は何倍にもなるように思いませんか。蛍や花という風物に、はるか昔の人が抱いた切ない恋心や喪失感が加わることで、目の前にひろがる風物がより深く心に刻み込まれるようになるのです。また、つらい体験をしたときでも、同じ悲しみを詠んだ昔の歌を知っていれば、「遥か昔にも自分と同じ思いをした人がいる」と憂いが少し和らぐかもしれません。
和歌は入試頻出分野でもあります。普段から和歌を味わってほしいと思います。












