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講師特別インタビュー 教壇にいたるマイヒストリー【青木純二先生】

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講師特別インタビュー 教壇にいたるマイヒストリー【青木純二先生】

 ここでは、東進の実力講師陣の素顔に迫るエピソードを紹介。10 代の頃はどんなふうに過ごしていた? 何で教える仕事を選んだの?どんな授業をしているの? 知られざる講師の一面に迫ります!


「正しく努力すれば必ず伸びる」とみんなが実感できるような授業を

第22回 数学

青木純二先生

 公式は覚えるだけでなく、自分で創って使うものという変わらぬ想いで、30年以上教壇に立ち続けてきた本格派講師。「なぜそうなるの?」を考えることを数学の基本とした講義は、本物志向の生徒から永く支持される。既知の修得はもちろん、一つの考え方から発想を広げ、自分の頭で考え続けるトレーニングを通じて、未知なる問題を解決できる力を養成する。


 代々学校の先生の家庭に生まれて、北海道の留萌市で育ちました。父親は小学校の音楽教師でした。父親を見ていて自分も学校の先生になりたい、と思うようになりました。何十年も前の父の教え子がときどき家に遊びに来るのを見ていて、先生という生き方は素敵だなと思ったんです。

 学校の先生になるためには大学で教員免許を取る必要があるので、じゃあ大学に行こう、と中学生の頃に考えました。当時ある程度の学力がある生徒は公立の札幌南高校や旭川東高校に行くことが多かったのですが、私の場合、親が「寮がある方が安心だ」ということで、函館ラ・サール高校に進学しました。


学校の先生になるそれだけが目標

 高校時代は野球部に寮生活にと、男ばかりの毎日でおもしろかったですね。いろんな意味で賢い子が多く「世の中にはすごい奴がいるな」と感心していました。ただ、東大や医学部に行くような賢い人と話していても「すごいとは思うけど、俺は俺だしな」といった、マイペースを貫いている、そんな高校生でした。

 結果的に私は北海道大学に入学しました。しかし私は、教職を取る以外の目的がなかったので、大学院に進む予定はありませんでした。数学科を選んだ理由も、当時は授業料が一番安かったからということが大きかったです。高校で野球部の顧問をやるというのが大きな夢の一つだったので、それさえできれば、ほかはあまりこだわりはなかったように思います。

 大学では教職関係の授業だけはきちんと受けていましたが、ほかは道路工事や屋根の塗装のアルバイトをしたりしていました。当時から「将来教壇で子どもたちに教えるときに、数学の話ばっかりしていたってつまらない」と思ったからです(笑)。


数学を取るか野球を取るか

 晴れて卒業後は倶知安高校に数学教師として就職することができました。スキーで有名な、ニセコの隣の街です。私は野球部の監督をするために入ったようなものだったので、放課後になったら生徒より早くグラウンドに出てバットを振っていました。長らくの念願が叶ってとにかく楽しい毎日でしたね。

 しかし数学を教えるということに関しては、自分の理想と学校で定められているカリキュラムが合わなかったのがストレスでした。「この順番で教えても生徒は理解ができないだろう」「先にこっちの話をした方がおもしろいだろう」とばかり考えていました。

 今でも数学は単元が縦に並んでいるものではなく、円のようにいろんなところがつながっているところが楽しいと考えています。それで、教科書をほったらかしにして自分でプリントを作ったりして生徒に自分なりの授業をしていました。


努力をすれば必ず伸びる

 しかし24歳くらいの頃、どうしても私のスタイルが学校に許してもらえなくなりました。私は考えました。

 「このまま10年、20年と自分が本当に教えたいことを封印したまま仕事を続けていくのか?」

 「でも、野球部の監督をやりながら年取っていくのも夢だったし、それもありかな」。24歳の私は数学を取るか野球を取るかの分岐点にいました。そして私は数学を選ぶことにし、夢だった高校教師を退職することにしました。

 高校退職後は全国の塾や予備校へ見学の旅に出ました。そうして東京のある塾と出会い、そこで教えることに。優秀な先生ばかりで「このままだと私は東京で食っていけない」と危機感を覚えました。そうして25歳から30歳まで、私は人生で最も数学を勉強した時期だと思います。その後、32歳のときに私が責任者となって分校を開校、塾の経営も経験しました。

 その後、教えることだけに専念したいと思い、縁あって東進の教壇に立つことになりました。東進は先生によってテキストは違うし、自分の思い描いた授業ができるという点で、自分の夢のひとつが叶ったと思っています。

 私は元々北海道の田舎の高校教師で、大学に進学するような生徒は10%もいないような環境で教えていました。でも、高校教師の頃も、現在の東進の授業でも基本的な考え方は変わっていません。大切にしているのは問題の解き方を教えるのではなく、解くための考え方を伝えるということです。

 教える内容は生徒の熟達レベルや目指す大学によって違いますが、最も大切なことは、「正しく努力すれば必ず伸びる」と実感できることです。そのために「こういうやり方で進んでごらん」と、道を教え、後押しすること。それが私の仕事だと思っています。


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