トップリーダーと学ぶワークショップ ぴあ株式会社 代表取締役社長矢内廣先生②
本記事は「トップリーダーと学ぶワークショップ ぴあ株式会社 代表取締役社長矢内廣先生①」の続きの内容です。
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必死の思いが繋いでくれた人の縁に救われる
雑誌を創るには印刷代が必要です。創刊号は一万部と決めていたので、30万円くらいかかる。学生にとっては大金です。
そこへたまたま父親が、実家から私を訪ねてきました。卒業旅行くらい海外に行かせてやろうと、お金を工面してきたというのです。その金額がちょうど30万、父親を説得して印刷費は工面できました。
次の課題は配本です。雑誌や書籍は基本的に取次と呼ばれる、出版業界の問屋を経由して各書店に運ばれます(資料2)。だから取次店に頼みに行きましたが「定期刊行の保証もない学生の雑誌など扱えない」と、相手にもしてもらえません。
途方に暮れていたとき、たまたま紀伊国屋書店の社長のインタビュー記事を専門誌で見かけました。そこには「書店の利益をもっと増やさないと、日本の出版文化が廃れてしまう」と書かれていた。この話にピンときて、その記事に出ていた社長、田辺茂一さんにすぐ連絡をしました。ほとんど突撃状態で田辺社長とお会いできて、思いを伝えました。取次を通さずに情報誌を書店に置いてもらったら、取次の手数料がいらなくなるから、書店の利益が増えるじゃないですかと。すると日本キリスト教書販売の中村専務を紹介してくださった。そこで「『ぴあ』のような情報誌を求める人はたくさんいるはずで、きっと書店のメリットにもなります」と訴えると「とにかく置いてもらいたい書店のリストを持ってきなさい」と言ってもらえたのです。
すぐにみんなで手分けしてリストを作り、中村専務に届けました。次に専務を訪ねた日、それは私にとって一生忘れることのできない日となりました。専務の机の上には封筒がどさっと積まれていました。なかには「矢内廣くんを紹介します、取次店に断られたぴあを書店に置きたいと言ってるので、協力してあげてほしい」と、専務の実印を押した紹介状が入っていて、封筒には各書店の社長名がきちんと記されています。それを見た瞬間、膝がガクガク震え出してしばらく止まりませんでした。
紹介状の威力は抜群で、すぐに89軒の書店が扱ってくれました。それからの4年間で扱い店は1万6000店にまで増えていき、その頃には発行部数も10万部を超えました。こうした状況を知った取次店から「うちを通しませんか」と連絡が入り、それ以降は取次店経由となったのです。