【親子に聞きました!①】何事も自分で決める〟 成功も挫折も、自分の決断なら自信につながる
今回は大阪大学医学部医学科に合格した持田鼓太郎くんとそのお父様である持田哲也さんにお話を伺った。
幼い頃から何事も自分で考え、決断してきたという持田鼓太郎くん。お父様はご家庭でどのように見守られてきたのでしょうか。
ピンチをチャンスに変えた コロナ禍で始まった高校生活
ー医学部をめざしたのは、どのようなきっかけがあったのでしょうか。鼓太郎 小・中・高と公立に通い、高校受験は推薦入試で尼崎稲園高校に合格しました。推薦入試では面接が課されることもあり、将来の夢について考える機会があったんです。きっかけは些細ですが、幼い頃からお世話になっていた実家近くの小児科や整形外科の先生たちの素敵な姿がありました。幼い僕にも明るくわかりやすく説明してくれたり、怖がらせないように和ませてくれたり、患者思いなところがすごく魅力的でした。これが医師に憧れた原点です。
父 私は救急隊員として消防署に所属して救命活動を行っていますが、自宅で仕事の話をすることはほとんどありません。個人情報にかかわる部分もありますし、つらい話や重たい話になることも多くなります。なので、鼓太郎が医師をめざしたことと私の仕事は、関係が薄いように思いますね。
鼓太郎 父は仕事の話はほとんどしないのですが、今も強く印象に残っているエピソードが一つあります。自宅で破水してしまった妊婦さんがいて、救急車の中で父が赤ちゃんを取り上げたことを教え てくれました。
父 約25年間救急車に乗っていますけど、初めての経験でした。赤ちゃんの頭が出てきて、自分の手で取り上げて赤ちゃんが元気よく泣きました。命が生まれる瞬間の力強さに感動し、その話を鼓太郎に伝えました。家族でリビングで過ごす時間が多く、日常の他愛もない話ばかりですが、いろいろ話していたと思います。
ー鼓太郎くんが高校に入学した 2020 年4月は、コロナ禍による学校休校が始まったタイミングでした。
鼓太郎 高校入学前に〝医師になりたい〟という夢を抱き始めたものの、僕の高校から医学部医学科に現役合格した卒業生はほとんどいませんでした。それぐらい難しい挑戦だとわかったので、高校合格後は医学部に向けての勉強をすぐにスタート。中3の3月に東進に入学して、 高校の勉強を開始しました。高1の4月 ~5月がコロナ禍で学校が休校になってしまったので、東進の自宅受講を進めて、 二ヶ月で一気に高1の勉強を終らせました。
父 鼓太郎は幼い頃から自分で目標を立てて一つひとつこなしていく習慣があったので、目標を立ててそれに向かって何かを始めているな、というのはわかりました。ただ、医学部をめざしていることは知りませんでしたね(笑)。東進の親子面談には妻が同席していましたが、校舎で模試のランキングで上位に貼り出されていると、写真を撮って見せてもらったりしていました。勉強のことは東進に任せていたので、「頑張っているなあ」と感じていました。
―志望校選びや進路について、ご両親からのアドバイスはありましたか。
鼓太郎 父も母も、良い意味で放任主義だと思います。幼い頃から僕のやりたいことを尊重してくれて、自由に自分で決めて進めたらいい、というスタンスでした。勉強や進路に関して、自分の経験や意見で「こうした方がいい」ということもなく、志望校も自分で決めたことを伝えた、という感じです。
父 鼓太郎は中学では陸上部、高校ではバドミントン部に入り、部活も志望校も自分で決めたこと。私は見守るだけでした。
鼓太郎 ただ、一度だけ高3の夏に進路で迷ったことがあったんです。友達とオープンキャンパスに行ったら、エネルギー関係の勉強や仕事にも憧れて、工学部に進路変更しようかと悩んでしまいました。
父 その話を聞いて、私としては中3からめざしていた医学部に挑戦した方がいいのではないか、と思ったんです。結果がどうなるにしろ、最初の目標に挑んだ方が後悔がないと思いましたから。ただ、直接的なアドバイスは避けるようにしていました。もちろん言いたいけれど、夫婦で我慢していた部分もありますよ(笑)。
鼓太郎 今振り返っても、受験時代を通して、両親から「自分で決めなさい」という言葉は何回も聞きました。結局、自分で考え、進路を変更することはありませんでした。
父 自分の人生は自分で決めた方が自信が持てますし、たとえ挫折があっても自分の決断なら立ち直れるんじゃないか、そんなふうに思っています。また、受験の情報も本人や東進の先生方が一番持っていますので、余計なアドバイスをする必要もありませんでした。