大学での学びの内容を知る(映像メディア系)①
「大学での学びの内容を知る」の第2回は映像メディア系の学びを特集する。映画やアニメーションなどの映像文化を研究したり、映像制作の理論や技術を学んだりなど、大学によって学ぶ内容が異なる。今回の特集では、名古屋大、立命館大での学びの内容を紹介する。大学で何を学ぶべきか、大学選びの参考にしてもらいたい。
名古屋大は2022年に「研究・価値創造」「教育・人材育成」「国際展開」「社会連携・産学連携」の4つの事業を推進するための戦略を策定し、キャンパスが丸ごと研究拠点となって世界中から優れた研究者や学生が集い、世界中に人材が飛躍していくダイナミックな交流が展開される大学を目指している。文部科学省が実施しているスーパーグローバル大学事業のトップ型指定校ならびに指定国立大学法人に指定されており、6名のノーベル賞受賞者を輩出した国内屈指の研究大学だ。
文学部には、「言語文化」「英語文化」「文献思想」「歴史文化」「環境行動」の5つの学繋けいがあり、さらに22の分野・専門に分かれている。興味関心に応じて2年次から専攻する分野・専門を選択する。一方、大学院人文学研究科は2017年に、文学研究科、国際言語文化研究科、国際開発研究科国際コミュニケーション専攻を統合して発足した。大学院人文学研究科は「言語文化」「英語文化」「文献思想」「超域人文」「歴史文化」の5つの学繋の27分野・専門に分かれている。今回紹介する「映像学」分野・専門が所属する「超域人文学繋」には他には「日本文化学」「文化動態学」「ジェンダー学」「メディア文化社会論」の分野・専門が設置されている。大学教員、高校教員、学芸員など、研究職や教育職、高度専門職を担う人材養成に向け、学際的な問題を多角的なアプローチから学ぶことができる。
〈名古屋大大学院人文学研究科 藤木秀朗教授インタビュー〉
■映像学を学ぶキッカケ~映像学の分析とは
「学部生の時には哲学や教育学を専攻していました。日本語教育を学ぶために名古屋大の大学院に進学したのですが、そこで日本映画を研究しているアメリカ人の先生に出会い、映像学を専門的に研究したくなり、アメリカのウィスコンシン大マディソン校で学びました。そのときの博士論文のテーマが『日本ではいつ、どういう風に映画のスターシステムが出来上がったのか』という内容で、これを基にした研究が『増殖するペルソナ―映画スターダムの成立と日本近代』というタイトルの書籍で出版されています」
「日本では1910年代から20年代にかけて、映画スターと呼ばれるような人が現れてきたのですが、映画産業と結びつきながら、どういうふうに“スター”が作られてきたのか、そのときのスターの特徴はどういうものだったのか、といった問題を、映画が普及する前にいた演劇の役者、特に歌舞伎の人気役者との関係も考慮に入れながら紐解きました。明治時代以降、日本の文化を西洋に対抗できるものとして発展させる必要性から、歌舞伎は高級な伝統芸能として発展するようになりましたが、東京の歌舞伎座のような権威のある確立された歌舞伎とは別に、旅回りをしながら地方の芝居小屋を巡業するような庶民に親しまれる歌舞伎もあり、そういった歌舞伎の役者が映画に出演したのが日本映画におけるスターのルーツです。当初は知識人から馬鹿にされるような扱いでしたが、映画専門の役者がいなかった時代にその動きや演技の映像が人気になり、一躍スターと呼ばれるような存在になったのです。映画は元々、大衆的な歌舞伎との結びつきが強いものだったのです。
次に取り組んだのが、社会集団を表す言葉と映画観客との関係に注目した研究です。ある社会集団を表す言葉には、『民衆』『国民』『大衆』『市民』などがあります。これらの言葉は時代や社会情勢によって使われ方や意味が変わってきましたし、さらに映画観客は社会集団と結びつけて呼ばれることが多かったのです。1910年代から1920年代にかけて、映画観客は『民衆』と呼ばれることが多くありましたが、この時期、『民衆』は新しい言葉として登場し、特に明治から大正時代に移る頃の社会変化を背景に広まりました。以前は『臣民』という言葉が天皇の統治下にある人々を意味していましたが、大正デモクラシーと呼ばれたように、従来の社会的な秩序から外れるような行動をする層が増え、こうした人々が『民衆』として既存の権力や秩序に収まらない存在として認識されるようになり、映画観客もこの『民衆』として捉えられました。このように映画観客が歴史的な社会集団を表す言葉と結びついてきたことに注目し、その変遷の分析を通じて映画観客の歴史的な意味を探ることを研究しました。100年にわたる歴史を振り返り、映画観客が『民衆』から『市民』へと変化してきた過程を論じ、その意味の変化について考察したわけです」