サイエンスセミナー実施レポート②
本記事は、サイエンスセミナー実施レポート①の続きの記事です。こちらも併せてご覧ください。
一冊の書物との出会いがアメリカでの研究へと誘う
企業の研究所から誘いがあり、企業での研究の道も考えましたが、博士号をとったタイミングで人生を決定する本と出会いました。『AShortHistoryofNearlyEverything(人類が知っていることすべての短い歴史)』、ビル・ブライソンという作家が書いた科学史です。厚さ4センチほどもある本には、サイエンスの歴史がぎゅっと詰め込まれている。これを読んで、科学研究がいかに人類の歴史を変えてきたかを思い知りました。
宇宙の成り立ち、素粒子科学、相対性理論、隕石衝突による恐竜の絶滅、プレートテクトニクス、生命の誕生、生物学におけるDNAの発見、細胞、ダーウィンの進化論、氷河時代などを縦横無尽に駆け巡り、またそれらの発見とともにある科学者たちのドラマが社会背景と共に生き生きと描かれていました。
科学とはこんなにも壮大な世界なのだから、自分も歴史に残る研究をしたい。そう思ってハーバード大学フリッツ・ロス教授の研究室に研究員として移ることにしました。博士課程まで取り組んできた理論メインのバイオインフォマティクスから、今度は実験を必須とする遺伝子工学の世界に移ったのです。
アメリカ中のエリートが集まる研究室に、ピペットを使った経験すらなく、塩の正式名称「sodiumchloride」も言えないような英語力で飛び込びました。最初はあまりに思うように活躍できず、トイレにこもるような思いもしましたが、とにかく五年間、どんな苦労をしてでも頑張り抜けば絶対になんとかなる。毎日そう言い聞かせました。
取り組んだのは酵母を対象とする研究です。まず遺伝子改変技術を使うことで、人工的な機能を酵母細胞に追加し、ヒトのたくさんのタンパク質群が、どのように相互作用しているのかを高速に調べることのできる技術を作りました。当時最新鋭だった高速DNAシーケンサーも活用しながら研究を進めました。徐々に成果が出てくると、研究室のメンバーからも信頼を得られるようになり、二年目には専属のアシスタントを二人つけてもらえるまでになりました。
細胞観察のビデオカメラ細胞の過去を知るタイムマシン
2013年、アメリカでの学会発表からの帰り、飛行機の中からぼんやりと夜景を眺めていたときでした。ヒトの体は受精卵から細胞が分裂し、次々に姿を変えながら作られていきますが、もしこのような過程をビデオカメラのように記録できたらおもしろいし、すごいことになると思いました。できることの範囲で研究を考えるのではなく、ただできたらいいなと思うことを先に考えて、次にそれはどうやったらできるのかと野心的に考える。特にフリッツから学んだ考え方です。
いま研究を進めているDNAイベントコーディングでは、細胞が経験するさまざまなイベントを記録していきます。細胞内にカメラのようなシステムを搭載して観察し、その結果を人工的なDNAのテープに時系列で記録します。このデータを基に、多数の細胞が経験した過去の細胞分裂や遺伝子発現の様子を、独自に開発したスーパーコンピューター技術を使って解析し再構築する。
まずマウスを対象として、受精卵から全身が形成されていく過程を、分子レベルで明らかにするのが目標です。
また、これと対になる方法としてCRISPR -Cas9ゲノム編集を利用した細胞生物学のためのタイムマシンのような技術も開発しています。「遡及的クローン単離」と呼ばれるこの技術では、特定の運命を辿った細胞と同じ細胞を取り出して調べることができます。例えば薬剤耐性を獲得して増殖するようになったがん細胞は、細胞内のどのような分子メカニズムがそれを可能にしたのか。タイムマシンで時間を巻き戻すように、過去の状態へと遡って調査していけば、どこでどのようにおかしくなったのか解明できます。ほかにも幹細胞が分化していく過程や、幹細胞からつくられるミニチュアの臓器「オルガノイド」が生成される過程も調べられる。
このような研究を一人で進めるのは不可能で、研究者でチームを組む必要があります。今はそのマネジメントが自分の役割になりましたが、これがとても難しいなと思います。研究者とは基本的に、各自がテーマを持って研究を進める人たちです。そんな人を集めて、全員に同じ方向を向いて進んでもらう。しかも今取り組んでいるテーマが完成するまでに、何年かかるかわからない。
それでも、このような野心的な研究はエキサイティングです。その成果は生命科学の教科書を書き換えるような仕事になるかもしれません。ノーベル賞を取るつもりで取り組んでいます。